極寒のロシアで生まれた「ウォッカ」は -30℃でも凍らないってホント!?
2019/08/19
焼酎は今でこそ日本のメジャーなお酒として親しまれていますが、その誕生の歴史は450年以上前まで遡ります。焼酎についての歴史的記述から、焼酎のなりたちを紐解いていきましょう!
諸説ありますが、焼酎が日本で飲まれていることが初めて確認されたのが1547年に執筆されたポルトガル人の日本に関する報告書と言われています。そのころ、キリスト教の宣教師であるザビエルが日本へのキリスト教布教を目論んでいました。
それに先立って、1546年に、ポルトガルから日本の薩摩地方へ、半年間の調査を目的とした船が送られました。その船の船長を務めていたジョルジェ・アルバレスという人物が、ザビエルに報告するために記した「日本報告」の中に、「米から作る蒸留酒」という記述が確認されています。
アルバレスは薩摩の生活習慣や地理、環境、宗教など事細かに観察し、ザビエルの信頼を得たとされています。薩摩といえば芋のイメージが強いですが、当時はまだサツマイモがなかったため、米焼酎が一般的だったようですね。
現在の鹿児島県と熊本県の県境にある大口市という場所で、焼酎の歴史を知ることができる、ある珍しいものが発見されました。それが「日本報告」の記述から約10年後の1559年、郡山八幡神社の修復の時に大工によって書かれたとされる落書きです。
その落書きには「座主(寺を統括する僧侶)が一度も焼酎を飲ませてくれない」という内容が記されていました。これが現在確認されている資料の中で初めて「焼酎」という言葉が使われた記述です。
焼酎という言葉は当時庶民にも知られていて、来客のときの振る舞いの酒として親しまれていたことが推測できる落書きですね。
九州の焼酎としてもっともメジャーと言ってもいい芋焼酎はいつごろ生まれたのでしょうか?芋の伝来といえば、青木昆陽(あおきこんよう)の「蕃薯考(ばんしょこう)」を歴史の授業で習った覚えのある人もいるかと思いますが、さつまいもが薩摩に伝わったのは蕃薯考が記された30年前の1705年です。
さつまいもの原産国は中南米で、日本には中国から琉球経由でやってきたとされています。当時カライモ、リュウキュウイモ、甘藷、蕃薯などさまざまな名前で呼ばれており、琉球でそれを見つけた漁師によって薩摩へと持ち込まれたという説が有力です。
さつまいもは、温暖で多くのシラス台地が分布する薩摩の風土と相性がよく、あっというまに薩摩地方に広がります。もともと、米が育ちにくい環境だったため、米の代用として食べられるようになり、必然的に焼酎の原料も米からさつまいもへと変化していったようです。
沖縄オリジナルのお酒といえば泡盛が有名ですね。実は、泡盛は米焼酎の一種で、九州で広まった米焼酎よりも以前に、古くから伝わる独特の材料と作り方で楽しまれていました。
そのルーツは、沖縄がまだ琉球と呼ばれていた600年前にヒントが隠されています。残念ながら琉球には泡盛のはっきりとした存在を示す文書は残されていませんが、琉球と今の鹿児島である薩摩は交流があったことが分っており、1575年の薩摩の記録に「琉球が贈り物として60年前と同じ焼酎をもってきた」という旨の文章があります。
諸説ありますが、この焼酎が泡盛、もしくは泡盛ができる元となったお酒を指していると考えられています。九州で広く作られるようになった米焼酎は、日本の米と白麹を使い、フリーティに仕上げることが多いですが、泡盛はもっと古来の製法を採用して、タイ米を使用した黒麹のみで作られているため、独特の風味を持っています。
また、泡盛は焼酎の中でもめずらしい、熟成させて風味を増すお酒です。麹を利用して醸造し、その後蒸留するという製法はどの焼酎も共通しているものの、泡盛は他の焼酎と一線を画した独自の発展を遂げたことがわかりますね!
・初めて焼酎と考えられるお酒が登場したのは約450年前
・1705年にさつまいもが薩摩に伝わり、芋焼酎が作られるようになった
・泡盛は伝統的な製法で作られた、熟成させて風味を増す焼酎
焼酎の歴史は語られることが少ないですが、文献もしっかり残っていて時代時代の進化を感じることができます。焼酎のなりたちを知って、歴史の積み重ねを感じながら、味わって飲んでみましょう。
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