<対談>日本経済新聞 掲載 本坊社長×葉加瀬太郎氏
2016/03/02
田苑酒造では、一次仕込みの際に、音楽の信号を振動に変換し焼酎に伝える、トランスデューサ―と呼ばれる特殊なスピーカーで、もろみの発酵を進させる「音楽仕込み」でお酒造りを行っています。
そんな蔵で流している楽曲の中から、今回はワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第一幕への前奏曲をご紹介します。
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner/1513-1883)は、19世紀に活躍したドイツ生まれの作曲家、指揮者です。
独自の音楽理論を追求し、それまでのオペラとは形式が異なる「楽劇(Musikdrama)」というジャンルを生み出した彼は、それらの歌劇で名を馳せたことから、“楽劇王”とも呼ばれていて、彼が創作した作品はロマン派の歌劇における頂点と言えます。また、ワーグナーは自作の歌劇の台本を自ら執筆をしたり、ドイツ南西部のバイロイトに自身の作品を上演するための「バイロイト祝祭歌劇場」を建設したりしました。
他にも、理論家、文筆家としても高名な彼は、音楽界だけでなく19世紀後半のヨーロッパに広く影響を与えた、偉大な文化人の一人でもあるのです。
ワーグナーの天才的な革命性に感銘を受ける支持者は多くいましたが、その一方で、彼のあまりに傍若無人で自信家な面を快く思わない、“アンチワーグナー”の人々も相当数いたそうです。
“作品”としての評価と“人物”としての評価の差なのでしょうか。
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、1862年から1867年にかけて創作されました。
ワーグナーはオペラや楽劇を創作する時はいつも、はじめに台本を完成させてから作曲に取りかかることが多かったのですが、本作に限っては散文稿を書いている途中の1861年頃に突然イメージが涌き、第一幕への前奏曲の骨格部分を書き上げたそうです。
ワーグナー唯一の喜劇オペラであるこの作品は全3幕構成で、台本も作曲者によってドイツ語で書かれています。内容としては、ショーペンハウアーの哲学を色濃く受け継いでいる、と言われています。
舞台は16世紀中頃のドイツ・ニュルンベルク。靴屋の親方であるハンス・ザックスが、この町にやってきた騎士ヴァルターと隣家の娘エーファが恋仲であることを知り、歌合戦でヴァルターを勝たせることでふたりの仲を取り持つ、という温かな人情味の溢れるストーリーです。
「マイスタージンガー(Meistersinger)」とは、15〜16世紀に活躍したドイツの詩人兼音楽家のことを指し、転じて名歌手の意味も持ちます。
彼らは手工業職人であることが多く、親方・職人・徒弟という本職での階級が、歌手としての階級にそのまま反映されていたようです。今作には全部で12人の職匠歌人、すなわち「マイスタージンガー」が登場します。
この「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、劇中の登場人物やシーンの状況を表す、“示導動機“とも呼ばれる「ライトモチーフ(Leitmotiv)」が多く引用されているのが特徴としてあげられます。 今作品中には約60個もの「ライトモチーフ」が現れます。
今回ご紹介する第一幕への前奏曲は、“マイスタージンガーの動機”、“芸術の動機”、“愛の動機”など、曲中の重要な「ライトモチーフ」が数多く詰まっており、まさに良いところ取りな楽曲なのです。
ワーグナーの人気作品のひとつであり、単独でも頻繁に演奏されるこの前奏曲は、祝祭的なイメージから入学式などの式典で演奏されることも多いようです。
余談ですが、この「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の初演には、スキャンダラスな逸話があるのです。
ワーグナーにとって、「ヴィルトゥオーゾ(達人)」として知られるピアニスト、作曲家のフランツ・リストは、心から尊敬する憧れの人でした。しかし彼は、そのリストの娘のコジマとダブル不倫関係に陥り、お互い離婚しないまま1866年に同棲生活を始めたふたりの間には、娘イゾルデが誕生しました。
コジマも子供の頃から彼の才能に惹かれていたようですが、ワーグナーの支持者であったハンス・フォン・ビューローと結婚し、すでに2人の子を儲けていました。
それにも関わらず、1868年6月21日にミュンヘン宮廷歌劇場にて行われた初演は、ビューローによる指揮で行われたのです。
その後、正妻と死別したワーグナーは、ビューローと離婚したコジマと1870年に再婚することになります。
そして、コジマと別れたビューローはワーグナーと決別し、当時の音楽界で起きていた派閥抗争において、ワーグナ一派と敵対していたブラームス派に加わりました。
プライベートが音楽界にまで影響するワーグナーのキャラクターの強さを知らしめられますね(笑)
まるで陽が昇っていくような堂々とした幕開けと共に、心地よい重みを含んだ豊かな響きで私たちを魅了する「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第一幕への前奏曲は、お酒にどんな働きかけをしてくれるのでしょうか。
輝かしい管楽器の音色とハ長調という安定感のある調べによって始まるこの楽曲には、内省的なものを奮い起こし、逆に張り詰めたものをおおらかになるよう緩和してくれる効果があるように思います。この“音楽の力”は、お酒が程良い活力と落ち着きを得て、他にはない味わいを生むきっかけになるのではないでしょうか。
また、全体を通して音楽のフレーズの息が長いこともあって、田苑酒造のタンク内のもろみにじっくりと入念に成長を促してくれる作用も見込めます。
テンションを高めて気合を入れたい。あるいは緊張を解いてリラックスしたい。
そんな気分の時には、この勇猛さと穏やかさを兼ね備えた「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第一幕への前奏曲を聴いて育った田苑焼酎がぴったりです。
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